小平市役所
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今から約170年前、現在の鈴木町地区に一つの文化が誕生しました。現在も変わらず愛され、演じられている鈴木ばやし誕生の物語を紹介します。
鈴木ばやしは、小平市内の鈴木町地区に伝わる郷土芸能で、別名「鈴木流若ばやし」とも言います。江戸時代末期の弘化4年(1847年)ごろ、小平の青年教育の先駆者と言われ、鈴木新田の有力者であった深谷定右衛門が普及させました。当時、若者たちの間には賭博や深酒などの乱れた風潮があり、それを嘆いた深谷定右衛門は、若者の健全な娯楽として江戸祭囃子を広めました。
江戸祭囃子は、江戸時代中期ごろに創作された葛西囃子をもとに生まれ、若者の不良化防止に役立つと考えた当時の関東代官によって推奨されました。
そして、さまざまな流派に分かれて江戸市中や村々に広まっていきました。
鈴木ばやしは、深谷定右衛門が田淵(現在の杉並区阿佐ヶ谷)に住む横川初五郎から伝授された江戸祭囃子を、当時の鈴木新田で奨励し、伝承者たちが広めたことから始まりました。
伝承者として二代目の深谷運平は笛の名人と言われ、神田明神の祭礼で披露した技が称賛されるとその名は広がり、鈴木流の一派をなすようになりました。そして、鈴木ばやしは近隣の村に広がっていきます。
明治22年(1889年)、7つの村(小川村、小川新田、大沼田新田、鈴木新田、野中新田与右衛門組、野中新田善左衛門組、回田新田)が合併して小平村になった当時、それぞれの村にお囃子が伝承され、村人たちに演奏されていました。
鈴木ばやしは、笛1人、締め太鼓2人、大太鼓1人、かね1人の5人で演奏することから五人囃子と言われています。
この形は、江戸祭囃子の特徴で江戸時代中期に確立してから現在まで守られています。笛は、囃子全体を先導する役割を持ち、締め太鼓は2基の小太鼓で右側の太鼓は左側の太鼓よりも二音階高く調律しています。
大太鼓は笛のリードに従い、締め太鼓の調子に合わせて合間に打ち込んでいきます。
かねは、ほかの4人が調子よく演奏できるように助ける役割を担っています。
祭りやイベントなどでは、5人で交代しながら演奏していきます。
曲は、お祭りの雰囲気をにぎやかにするようなテンポが速く勇壮なもの、祭礼などで厳かにゆっくりと演奏される曲など、さまざまあります。
そして、奏でる曲に合わせひょっとこや獅子舞、おかめなどが舞います。
曲や舞には、豊作への祈りや感謝、魔を払う、家内安全など日常生活への願いが込められています。
そのため、舞の動きも、日常生活の動きを模して面白く、にぎやかにしたものが多くあります。
獅子は、伝説上の霊獣とされ、天下泰平と万民の幸せを祈って踊ります。激しく勇壮な動きをしますが、この獅子に頭をかんでもらうと健康で賢くなるという言い伝えがあります。
白ぎつねと赤ぎつねの踊りがあります。白ぎつねは修行を積んだ神の使者で、赤ぎつねは修行前の野生のきつねです。
子どもを育てる母の優しさを表現する動きが多くあります。曲によって手踊りや、赤ん坊に見立てた獅子頭を持ち、寝かしつけるしぐさをします。
かまどの火を吹いて守る火男(ひおとこ)がなまって、ひょっとこと言う説があります。日常生活のしぐさからとった動きで、にぎやかな曲でおどけた舞をします。
種まきやくわを使った農作業、水くみなどの日常生活のしぐさをまねて、からかうような動きで舞います。
種まきや収穫など、農作業の場面に多く登場します。酒の入った徳利を持ち、豊作の喜びを表現するなど、五穀豊穣の願いが込められています。
般若(はんにゃ)がなまって、がんにゃと呼ばれる説があります。勇ましい曲に乗って、悪いものをやっつける魔よけの願いを込めて舞います。
鈴木ばやしは、時代の移り変わりによって隆盛と衰退を繰り返していきました。そして、さまざまな人たちの協力によって、現在では広く人々から愛される郷土芸能として続いています。
昭和30年代以降、小平は農地の宅地化や団地の建設など、農村から住宅地へ都市化が進んでいきました。そして、人々の生活様式や娯楽が変わっていったことでお囃子への関心が薄くなり、小平の村に伝わった江戸祭囃子は鈴木地区以外は途切れてしまいました。
鈴木ばやしも、太平洋戦争中の中断や継承者の減少など、何度か消滅の危機がありました。
昭和45年(1970年)、鈴木ばやしの文化的な重要性が評価され、小平市から無形民俗文化財に指定されました。そして、同時に小平市鈴木ばやし保存会が結成されました。
無形民俗文化財に指定される以前は、鈴木ばやしは鈴木ばやし連中(鈴木ばやしを演じて継承している人たち)が祭礼などに出演した謝礼などを資金として伝承・保存してきました。
しかし、お囃子は高価な道具や衣装を必要とし、提灯など消耗品の修繕費が多くかかります。そのため、鈴木ばやし連中に大きな負担がかかっていました。そこで、保存会が中心となって賛助会費を募り、伝承や保存の協力をして鈴木ばやし連中が活動しやすい環境を整えていきました。また、住む地域に関係なく鈴木ばやしに参加できるようになり、後継者の育成も進んでいきました。
現在、鈴木ばやしには多くの出演依頼があり、イベントなどに欠かせない小平市のお囃子として愛されています。
山車は、人の手で引いて移動できる車輪の付いた舞台です。初めて鈴木ばやしを山車で披露したのは、第1回小平市民まつりのときです。当時、山車を持っていなかったため東村山市久米川町の熊野神社から借用しました。山車への反響は大きく、小平市でも山車を建設しようとの気運が盛り上がり、募金活動で資金を集めて山車を建設しました。
「小平市の無形民俗文化財にふさわしい山車を作ってほしい」との要望が高まり、瞬く間に目標金額を超える額(約1300万円)が集まりました。そして、第3回小平市民まつりで初めて披露され、以後多くの祭礼(小平市民まつり、鈴木稲荷神社祭礼、武蔵野神社祭礼など)で使用されています。
きつねの踊りには、白ぎつねの天狐(てんこ)と赤ぎつねの踊りがあります。白ぎつねが修行を積んだ神の使者とすれば、赤ぎつねは修行前の野生のきつねといえます。この場面は、身軽で自由に飛び回る若さを表現しています。
獅子は、伝説上の霊獣とされ、天下泰平と万民の幸せを祈って踊ります。この場面は、激しく勇壮な動きです。この獅子に頭をかんでもらうと健康で利口になるという言い伝えがあります。
まつりで人気のある仁羽(にんば)の曲に合わせ、道化とも言われるひょうきんなお面をつけて踊ります。この踊りでは日常生活からとった場面が多く見られます。
仁羽(にんば)の曲中、ねんねこ(子守歌)の部分です。おかめが赤ん坊に見立てた獅子頭を持ち、寝かしつけている場面です。子どもを育てようとする母の愛情を表現しています。
秋の収穫のころ、たぬきが豊年万作の畑を見ながら満足気に踊ります。手には酒の入った徳利を持ち、ほろ酔い気分です。この場面は、豊作の喜びを表現しています。
仁羽(にんば)の曲中、たぬきの踊りからおかめの踊りへ移り変わる場面です。両者ともコミカルな味を出そうと熱演しています。
これらの動画は、平成23(2011)年8月13日 市制施行周50年記念事業の映像記録保存として、ルネこだいら(小平市民文化会館)にて収録したものです。
実演公開編、解説編の曲や舞の解説を見ることができます。
DVDは、小平市図書館で見ることができます。