小平市役所
法人番号:2000020132110
〒187-8701 東京都小平市小川町2-1333
代表 042-341-1211
市報こだいら5面の記事を抜粋して掲載します。
鈴木遺跡からは、後期旧石器時代だけでも12万点を超える石器が出土しています。
土器などの焼き物を知らなかった当時の人々は、石でできた道具を使っていました。
出土した石器の中でも特徴的なものが石斧です。
石斧は、石を加工して斧の形に仕上げた比較的大きな石器で、木の幹や動物の骨などを打ち割るのに使ったと考えられています。
石斧は、全国で1,000点ほどしか見つかっていませんが、鈴木遺跡からは22点見つかっています。
また、鈴木遺跡から見つかった石器の材料として多く使われていたのは黒曜石です。
黒曜石は、割れ口の鋭さから、動物の肉を切ったり、やり先にしたナイフ形石器などに使われていました。
黒曜石は溶岩が冷える時にできる天然のガラスで、鈴木遺跡付近からは採取できません。
出土した黒曜石を分析すると、現在の長野県や伊豆箱根、日光などでとれたもので、中には伊豆諸島の神津島のものもあることが分析から推定されました。
当時の人々の交易を含めた活動範囲の広さがうかがえます。
鈴木遺跡からは、火を受けて赤くなった拳くらいの大きさの石がたくさん集められた、礫群(れきぐん)と呼ばれる遺構が300か所以上見つかっています。
石の中には、タールやすすが付着したものもありました。
これは、まだ土器のような道具が無かった当時、小石を集め、そのうえでたき火をして石を焼き、捕まえた動物の肉を載せて料理した跡だと考えられています。
また、礫群が同じ場所でまとまって見つかったことから、当時の人々が、今で言うバーベキューをしている様子がうかがえます。
鈴木遺跡が後期旧石器時代の代表的な遺跡となった原因は、石神井川の源流部という恵まれた環境によるものでした。
石神井川の源流部が東側(現在の小金井カントリー倶楽部付近)に移動した縄文時代の人々はおとし穴を作り、イノシシやシカを獲っていました。
この時代の人たちにとって、起伏に富んだ鈴木遺跡の場所は、狩りのための絶好の場所でした。
縄文時代以降は、水田による稲作をはじめとする農業が生活の中心となり、鈴木遺跡の地からは人の姿が見られなくなります。
再びこの場所に人の生活の営みが戻ってくるのは、玉川上水からの分水が引かれ、武蔵野新田開発が行われる江戸時代中期以降のことです。
鈴木小学校の玄関脇の「古代のオアシス」は、鈴木遺跡を育んだ石神井川につながる地下水が、顔を出したものです。
鈴木遺跡の場所には江戸時代、水車がありました。
この水車はもともと小麦をひく水車でしたが、幕末に黒船が来たとき、大砲に使う火薬を作ることになりました。
しかし、10か月ほどで爆発事故が起きてしまいます。
昭和44年、小平第八小学校の校庭で学校職員がごみ穴を掘ったときに遺物が見つかり、調査すると1軒の竪穴住居と甑(こしき)と呼ばれる底が無い土器が見つかりました。
奈良・平安時代、この付近は川が無く、ほかに住居跡が見つかっていないことから、作業小屋のようなものではなかったかと考えられています。
甑(こしき)とは、水を入れたかめの上にはめ込み、かまどにかけて穀物を蒸すために使う道具です。
小平青年会議所が鈴木遺跡を紹介する動画を、動画投稿サイトYouTube(ユーチューブ)で公開しています。
動画では、鈴木遺跡をクイズ形式で紹介しています。
発掘時の調査風景、出土遺物などの貴重な写真、国指定史跡化に向けた取り組みの中で明らかになったことなどをパネルにして紹介します。
とき
3月20日(土曜・祝日)~5月19日(水曜) 午前10時~午後7時
(注)金曜日は休館日。土曜・日曜日、祝日は午後5時まで。
ところ
中央図書館2階ロビー
鈴木遺跡の学術的分析結果や調査の内容を記載した鈴木遺跡発掘調査総括報告書(付編DVDは本編の根拠となるデータ集)を市政資料コーナー(市役所1階)で販売しています。
郵送による購入方法など、詳しくは小平市ホームページをご覧ください。
問合せ
文化スポーツ課 電話042(346)9501
鈴木遺跡から出土した石器や、おとし穴の標本などを展示しています。
ところ
小平市鈴木町1丁目487−1
開館日
水曜・土曜・日曜日、祝日の午前10時~午後4時
(注) 年末年始(12月27日から1月5日)を除く。駐車場5台あり。
問合せ
鈴木遺跡資料館 電話・FAX042(323)2233