小平市役所
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齋藤素巖は、亡くなるまでの31年間を小平市学園東町に居を構え、芸術活動を行った、小平市ゆかりの彫刻家です。
没後、市は、遺族から寄贈された石こう原型を保存するとともに、ブロンズ鋳造をしてきました。昨秋、これらの作品の展覧会を中央公民館と武蔵野美術大学の2会場で同時開催しました。素巖が創設した「構造社」の展覧会も全国各地で行われています。
素巖は、今、最も熱い視線を集めている彫刻家です。
齋藤素巖は、大正元年から文展などに作品を発表し、数々の受賞を重ねる一方、わが国初の本格的な彫塑(ちょうそ)専門団体「構造社」を設立した日本近代を代表する彫刻家の一人です。
昭和5年に兜町株式取引所ビルに設置された「商業・農業・工業・交通」(昭和63年のビル解体とともに取り壊される)のほか、兵庫県湊川(みなとがわ)公園「大楠公像(だいなんこうぞう)」、東京赤坂の高橋公園「高橋是清翁像(たかはしこれきよおうぞう)」が代表作としてよく知られています。
小平市(学園東町)には昭和18年に転居し、昭和49年に亡くなるまで、この地で制作活動を行いました。
小平市では、素巖の没後、遺族から寄贈された240点を超える石こう原型の保存に努めるとともに、およそ50点のブロンズ鋳造(ちゅうぞう)を行ってきました。ブロンズ作品の一部は小平市役所南側の芝生広場(「荷重(におも)」)や、ルネこだいら、中央図書館玄関壁面などに設置されていますが、小平グリーンロードの小平駅から花小金井駅間にも16基17作品が設置され、「齋藤素巖・彫刻の小径」として行き交う人々の目を楽しませています。
また、市では、平成17年、武蔵野美術大学と共同で、石こう原型の初めての学術的な調査を行いました。この成果は、武蔵野美術大学(石こう原型の展示)と中央公民館(ブロンズ作品の展示)の2つの展覧会で紹介され、連日、多くの方にご覧いただきました。また、「構造社」の展覧会「構造社昭和初期彫刻の鬼才(きさい)たち」展も札幌芸術の森美術館(北海道)、松戸市立博物館(千葉県)で開催されました。
10月16日 父知三、母かねの三男として東京市牛込区市ヶ谷富久町で生まれる。本名知雄(ともお)
4月 府立第四中学校(現戸山高校)に入学
3月 府立第四中学校を卒業4月 東京美術学校(現東京芸術大学)西洋画科予備科に入学(9月本科へ進む)
3月 東京美術学校西洋画科を卒業
9月 島根県杵築中学校教員となる
9月 彫塑を学ぶため、イギリスに渡る
1月 帰国。本郷菊坂町に落ち着き、その後、田端105番地に移る
第11回文展に「秋」(レリーフ)を出品し、初入選する
第12回文展に「敗残」を出品し、特選となる
日名子実三(ひなこじつぞう)とともに「構造社」を結成
兜町株式取引所ビルに「商業・農業・工業・交通」を各2体、計8体を設置
帝国芸術院会員となる
現在の小平市学園東町に転居
第9回日展に「自然科学者」を出品
日展常務理事に就任
第12回日展に「七十近し」を出品
第1回新日展に「珠-天馬と遊ぶ-」を出品
第3回新日展に「沼童の一家」を出品
第5回新日展に「競技への招待」を出品日本彫塑家倶楽部を日本彫塑会に改称。この年まで会長の席にあった
日本彫塑会名誉副会長に就任
2月2日 死去(満84歳)