小平市役所
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『小平町誌』の前と後の見返しに「御嶽菅笠」の一部が使われているのをご存じでしょうか。
特に後の見返しの絵の右上に小川村とあり、大沢屋と吉見屋の旅籠の名があり、青梅橋が架かり、すぐ近くに稲荷さんの鳥居もみえる。
この「御嶽菅笠」は江戸後期に出された江戸から御嶽神社への参詣案内書、青梅街道をたどる道中記である。
各ページの上部に変体仮名で書かれた文には、―旅の装束よろしく16里(約63km)の道を、江戸の日本橋から出発する様が調子よく書かれていて読み進むと、成子・淀橋・中野・堀之内・妙法寺…―とあり、そして小川村の吉見屋に仮寝の夢を結んだのかも知れない。当時の人びとが楽しみながら興味深く読んだだろう。イギリスの外交官アーネスト・サトウ氏の『日本旅行記』にも小川村のことが書かれていたことを思い出した。
私は町誌の見返しを見ながら、各ページに青梅街道筋の景色や道中の人びとの風俗が描かれているのだろうと長いこと思っていた。
ついこの間、江戸東京たてもの園で開かれた特別展「武蔵御嶽神社・高尾山薬王院と」のショーケースにこの「御嶽菅笠」を見つけて、やっと理解できたことがあった。というか己の無知に気付いた。
和綴本の茶色に傷んだこの表紙には、題名のほかは、御岳山に参詣する大勢の菅笠、菅笠…である。その中には数本の幟が揺らいでいる。「太々御神楽講中」「御造酒講中」「御狗講中」「代参講中」「年参講中」の文字を読むほかは、人びとのかぶる菅笠のみ。
町誌の見返しのどちらにも、幟をかついだ人が描かれていて西へ向かって歩いている。物売りの人かと思っていた私だが、よく見るとその幟に「みたけ」と書いてあった。なるほどと納得。これは昔のPR誌だったのだ。
さて、市内の先人方も御嶽権現に出かけたと思うが、小平にはそれに関した石碑はない。けれども御嶽神社の本殿に向かう参道で市内の方々の献金碑を見かけたことを思い出した。今でも小川町のある組では講が続けられていると伺っている。
それにしても小平町誌編さん委員の皆様のさりげない心配りに改めて敬意を表したい。
七月十四日
荷物を前もって本間三郎と人夫の弥一に持たせて先発させていた。私はこの日の一時頃に車夫二人が引く俥に乗って出発した。四谷大木戸を午後一時二十二分に通過。三時四十五分に田無に着き、小ぎれいにしている小さな家で十分ほど休息した。そこは秩父街道と青梅街道の分岐点を少し過ぎた左手にある近郊の農家だった。
昨日の大雨のために道路は大変ぬかるみ、俥をおりて歩かなければならないほどひどい箇所がいくつもあった。小川〔小平市小川町〕は道路に沿って長く伸びた、農家がまばらに散らばる農村で、かなりの広さの豊かな畠と竹林に囲まれていた。宿が三軒あって、小川屋旅籠はまずまずだが他の二つは低級のようだ。
小川のはずれを出ると、間もなく青梅橋で、たもとにはいくつかの茶店が並んでいる。道は玉川上水からわかれている小さな支流〔野火止用水〕とまじわり、そこから橋を渡って右に向かう。