小平市役所
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小平の昔の暮らしを、タマおばあさんに語ってもらう形で、紹介します。
昔の台所には、土間(どま)があったんだよ。
かまども流しもみんな土間で、流しのわきには、大きな水がめが据(す)えてあったの。
水道なんてないから、毎朝、井戸からくんだ水を、この水がめにためておくんだよ。
食事をするのは、一段高くなった板の間で、きちんと正座して、ひとりひとり自分用の小さなおぜんで食べてたね。
箱(はこ)ぜんといって、四角い箱にふたがついたものなの。
箱の中には、はし箱や飯(めし)わんや汁わん、それに小皿なんかが入っていてね、食事のときはふたを裏返し、その上に中の食器をのせて食べるんだよ。
食べ終わると、最後に空(から)になった食器にお茶かさ湯(ゆ)を注ぎ、たくあんでこすって、あとはすっかり飲んでしまうの。
それで、そのまましまっておくんだよ。
家族みんなが畳に座って、1つのちゃぶだいで食事をするようになったのは、戦後になってからだったね。
今みたいに、いすに腰掛けてテーブルで食事をする洋風の暮らしが広まる前は、ほとんどの家でちゃぶだいを使っていたよ。
今は、水くみの苦労もなくて、流し台の蛇口(じゃぐち)からいつでもお水が出るし、食事を運ぶのに、いちいちしゃがんだりしなくていいし、ほんとうに楽になったもんだね。
今から何十年も昔のことになるけれど、わたしが嫁入りしたころは、毎朝まだ暗いうちから起きて、かまどに火を入れるんだよ。
水をくんで、お米を研(と)いで、それからご飯を炊(た)くんだけど、うちにはガスコンロなんて重宝(ちょうほう)な物はなかったから、燃料はまきだったね。
マッチで火をつけるのが普通だったよ。
でも、すぐに消えてしまうから、火をつけるのもたいへんだった。
かまどのころは、ひと抱(かか)えもある大きなおかまでご飯を炊くのは珍しくなかったんだよ。
よく「始めチョロチョロ、中パッパ」なんて言うけど、かまどは火加減が難しいんだよ。
まきを入れすぎるとなかなか燃えないし、煙ばかり出て、目にしみて痛くてね。
やっと燃えだしたと思ったら、今度は火が強くなりすぎたりしてね。
ガスコンロのように火加減がうまくできないから、うっかりするとごはんが焦げてしまって、ほんとうにたいへんだったの。
だから、初めてうちに電気がまが来たときは、とってもうれしかったよ。
スイッチを押すだけでごはんができるなんて不思議でね、これで寝てる間にご飯が炊けるって、大騒ぎしたんだよ。
ちゃんと炊けるか心配で、最初はずっとそばで見てる人もいたんだって。
昔の炊飯器(すいはんき)は、おかまが二重になっていて、内がまと外がまの間に水を入れて使うの。
今の炊飯器は保温ができるけど、昔のはそんなことはできなかったよ。
炊きあがったごはんはおひつに移して、冬場は冷めないように、おひつをわらで編んだかごに入れて、それをやぐらごたつの中に入れておいたの。
夏は、風通しの良いところに置いて、ごはんが傷まないように工夫していたんだよ。
ガスコンロになったのは、戦後しばらくたってからだったね。
今みたいに、簡単に火がつくんじゃなくて、昔のは、最初にマッチをすって、ガス栓(せん)をひねって火をつけるの。
その間合いが難しくてね、ぼやぼやしてると火が消えちゃうし、栓を開くのが早すぎると、ガスがたまってボッと大きな火が出たりして、前髪を焦がしたこともあったよ。
今思うと、大きなおかまで何升(なんしょう)もいっぺんに炊いたごはんは、ほんとうに何よりもおいしかった。
今ではおこげの味も懐かしいね。
昔はね、米も麦も野菜も、みんな自分の家の畑で採れたものを食べていたんだよ。
食事といっても、ごはんと漬物、野菜の煮物、それにおみそ汁ぐらいだったね。
この辺りは、水が乏しくて田んぼができないから、米は、陸稲(おかぼ)といって、畑で作っていたんだよ。
ふだんは、大麦を半分以上混ぜて食べていたね。
白米だけのごはんを食べられるのは、正月やお節句なんかの特別なときだけなの。
陸稲はね、粘りけが少なくてぽろぽろしてるの。
だから、今と比べると、あんまりおいしくないんだよ。
だけど、そのころは白いごはんがごちそうだったから、ほんとうにおいしいと思ってたよ。
たまには魚も食べたね。
時々、行商人が来て、塩たらや塩ますを買ったよ。
秋には、いわしやさんまも売りに来た。
ふだんは、生の魚はめったに食べられなかったから、みんな楽しみにしていたんだよ。
肉はあんまり食べなかったね。
戦後、立川にアメリカ軍の基地ができたんだよ。
そのころ、基地で働いていた近所の人から、ソーセージの缶詰(かんづめ)をもらったことがあったね。
アメリカ人はこんなおいしい物を食べているんだねって、家族みんなで、大事に分けあって食べたんだよ。
今なら、もっとおいしい物が、どこでも買えるよね。
昔の冷蔵庫(れいぞうこ)は、電気じゃなくて、氷の塊(かたまり)を入れて冷やしていたの。
木製で、内側にブリキがはってあったんだよ。
中は二段になっていて、下の段に食べ物を入れ、上の段に氷を入れて、その冷気で冷やすの。
氷は、毎日、氷屋さんに届けてもらっていたね。
荷車に積んだ大きな氷を、氷屋さんが、家の前でのこぎりで切り出してくれるんだよ。
シャリシャリと良い音がして、夏には、子どもたちが、氷のかけらをもらって大喜びしていたね。
冬場は、氷を入れないで、粉や乾物(かんぶつ)を入れる物入れに使っていたよ。
電気冷蔵庫になっていちばんうれしかったのは、家で氷が作れるようになったことだよ。
子どもたちは、うちでアイスキャンデーができるって、大喜びしたんだよ。
初めのころは、冷凍なんかできなくて、中にほんの小さな製氷室(せいひょうしつ)が付いているだけの簡単なものだった。
だけど、それまでは、子どもが急に熱を出したりすると、慌てて氷まくらに入れる氷を買いに行かなくちゃならなかったから、おかげでどんなに助かったかしれないね。
そのころの冷蔵庫は、今と違って、放っておくと製氷室が霜だらけになるから、しょっちゅう霜取りをしなくちゃならなかった。
これが、結構面倒だったんだよ。
今じゃ、冷蔵庫がない生活なんて考えられないかもしれないけど、昔は、大抵自分の家の畑で採れたものを食べていたから、今みたいに野菜を保存する必要がなかったんだよ。
それに、冬は、家の中でもとっても寒くて、冷蔵庫がなくてもあんまり困らなかったね。
(注)市報こだいら2007年1月1日号から抜粋。
市報こだいら2007年1月1日号 こだいらちょっとむかし(PDF 621KB)