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子どもの遊び(小平市の昔話)

更新日: 2021年(令和3年)1月1日  作成部署:企画政策部 秘書広報課

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昭和20年代後半から昭和30年代にかけての子どもの遊びについて、タマおばあさんに語ってもらう形で紹介します。
現在のようなゲームや複雑なおもちゃなどがなかった時代、子どもたちはどのように遊んでいたのでしょうか。

草花遊び(春)

草花遊びのイラスト

私が子どものころは、小平は家がポツポツあるほかは、ほとんど畑だったの。
道も舗装をしていないところが多くて、道端には草がたくさん生えていたよ。

そこでおおばこを取って遊んだよ。
長く伸びた花の茎で草相撲をするの。

茎と茎を絡(から)ませて、引っ張りっこをして、切れたほうが負け。
松葉でも同じようにして遊んだよ。

春には用水の土手でつくし摘み。
ぽかぽかと暖かい土手で、ひなたぼっこしながら、つくしを見つけて採るのが、とっても楽しかった。
たくさん採ると家に持って帰って、おひたしや、つくだ煮にしてもらうの。
ほろ苦くておいしんだよね。

土手にはしろつめくさ(クローバー)もたくさんあったの。
四つ葉を見つけると幸せになるって言って、みんなで探したもんだよ。
春から夏には白いかわいい花が咲いてね。
それを採って花と花を絡(から)ませてつなげていくこともしたよ。
花二輪で指輪が作れるんだけど、もう少し長く編めば腕輪ができるし、もっと大きな輪なら、頭にかぶる冠になるんだよ。
それより長くすると首飾りになった。
しろつめくさの花は、かすかに、いい香りがして、腕輪や首飾りをすると、とてもいい気分になるんだ。
それで遊んだあとの花を、やぎにあげると、喜んで食べたよ。
やぎを飼っている家があって、昼間は土手につないでいたからね。

花といえば、小平ではところどころに植木畑があって、つつじの木をたくさん栽培していたんだよ。
春は赤い花が咲いてとってもきれいなの。
その花を摘んで、付け根のみつを吸うと、ほんのり甘くてね。
一つ、二つと摘んでいるうちに、だんだん夢中になって、どんどん花を採ってしまうの。
「こら」って怒られて振り向くと、植木畑の持ち主のおじさんだったりして。
でも、「ごめんなさい」ってあやまれば、すぐに許してくれたよ。

そういえば昔は外に生えているものを、遊びながら、よく食べたね。
小さなすすきのようなちがやの穂も食べたもんだよ。
つばなって言って、五月ごろ、まだ葉から出ていない穂を見つけては食べたね。
かむと甘い味がしたよ。
そのころは、空気もきれいだったし、農薬もかかっていなかったから、食べられたんだね。

外遊び

外遊びのイラスト

私が子どものころは、みんな、学校から帰ると、かばんを縁側に放り出して、急いで遊びに行ったもんだよ。
今はクラスの友達と遊ぶことが多いみたいだけど、昔はいつも近所の友達と遊んでいたね。

空き地や道路、農家の広い庭などがたまり場で、そこに行けば必ず誰かがいるの。

はじめは縄跳びや、ゴム段、石けりなんかしていてね。
そのうちにだんだんと大勢になってくるでしょ。
そうなると、かくれんぼや鬼ごっこ、木鬼、缶けりなんかの、みんなで出来る遊びをするの。
今と違って庭が広いから、隠れるところはいくらでもあったんだよ。
みんな弟や妹も連れてくるでしょ。
それで大きな子から小さな子までいっしょになって遊ぶんだよ。
物置や農機具などをしまってある納屋に入って怒られたり、暗いところに隠れて、小さな子が泣き出したりしてね。
それはもうにぎやかだったよ。

なかには遊び方がうまくて、面倒見のいい年上の子がいてね、その子の言うことは、みんなよく聞いたの。
小さな子は「みそっかす」なんて呼ばれて、半人前扱いなの。
だから鬼になることもなくて、みんなのあとにくっついて回っているだけなんだけど。
それでも大きな子のまねをしたり、約束事を教わったりしながら、大きくなって、一人前に扱ってもらえるようになるんだよ。
今思うと、子どもたちどうしの遊びの中で、みんなとのかかわり方を自然に身につけていったんだね。

缶けりには、みかんやパイナップルなんかの長めの空き缶がけりやすくていいんだよ。
でもそのころは値段が高くて、めったに食べられないから、手に入ったときは、大事に取っておいたもんだね。
缶といえば、缶ポックリでもよく遊んだよ。
空き缶の真ん中に穴を開けて、長いひもを通せば出来上がり。
足の親指と人さし指で、缶のひもを挟んで履(は)いて、そのひもを手で引っ張り上げながら歩くんだよ。
でもバランスをとるのが難しくて、なかなか歩けないの。
だから初めて歩けたときは、うれしかったね。
ポッカン、ポッカンと歩くたびに、音がしておもしろいんだよ。
上手になると、みんなで競走もしたね。

外遊びは、大勢で大声を出して駆け回るのが、とっても楽しかったよ。

影絵

影絵のイラスト
そのころの明かりは、天井からコードでつった電球の電灯だったの。
コードが長いから笠の上で手繰(たぐ)って丸め、ひもで縛っておくのが、普通だったね。
薄暗くなって電球のスイッチをパチンとひねると、ぱっと明るくなるでしょ。
そうすると壁やふすま、障子にいろんな影が映るの。
歩けば影は伸びたり縮んだり動くんだよ。


障子に映る影は、近づくと小さくなり、離れると大きくなって、ただの影だけど、おもしろかったね。

影絵のときは、電灯を畳の上から70、80センチぐらいのところまで下げるの。

それで明かりの前にかざした手で、いろんな形を作って映すんだよ。
きつねやうさぎは、片手で簡単に出来るし、両手を組み合わせると、犬やおおかみ、とんび、ちょうちょ、やかんと、いろんな形が出来るの。
それがとっても楽しくて、みんなで次々やっていると、晩酌しているじいちゃんの十八番が飛び出すのよ。
それはね、船頭さん。
握り拳(こぶし)におちょこをかぶせて、箸(はし)の櫂(かい)を持たせると、影が船頭さんにそっくりになるの。
それでもう片方の手を舟にして、ギッチラ、ギッチラとこぎ出してくるのよ。
とっても上手で、思わずみんな手をたたいたね。
兄ちゃんは手じゃなくて、自分の影を映すの。
それで「大入道だぞう」って、だんだん影を大きくしながら覆(おお)いかぶさって飛びかかるから、「キャー」って逃げるのが、怖くておもしろかったね。
小さな妹や弟たちも、簡単なきつねや犬を教わって影絵を映すの。
指がうまく組めないと、思う形にならないし、光の当て方しだいでいい影絵にならないこともあるから、ほめてもらいたい一心で真剣にやっていたね。
「上手にできた」と言われると、うれしそうだったよ。

それからこんなこともあったよ。
外が暗くなってから帰るとき、街灯の下を通るでしょ。
はじめは後ろに長く伸びていた自分の影が、歩くにつれて縮んでくる。
街灯を過ぎると、影は前に移って、今度はだんだん長くなる。
走ると影も走る。
離れない。
急におっかなくなって、家までかけ通しにかけて、帰ったこともあったね。

 

(注)市報こだいら2010年1月1日号から抜粋。

市報こだいら2010年1月1日号 こだいらちょっとむかし(PDF 617.8KB)

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小平市小川町2-1333 市役所3階

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電話:042-346-9505

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