小平の聖火ランナー
更新日: 2021年(令和3年)1月1日 作成部署:企画政策部 秘書広報課
1964年の東京オリンピックの聖火が小平を通ったときのお話です。
1964年大会の聖火リレーコース

聖火は9日に鹿児島、千歳に飛行機で運ばれて、4つのコースに分かれてすべての都道府県をまわったの。
その後、皇居前の聖火台に集火されて、10月10日の開会式で国立競技場の聖火台に灯されたんだ。
小平は10月8日に市内の8.8キロメートルを4区間に分けて、聖火がリレーされたんだよ。
当時の街並み
そのころの青梅街道沿いには、農家が多くて、強い風をよけるために、家のまわりに背の高いけやきやかしなどが植えられていたんだ。
遠くから見ると、森のように見えるから、屋敷森(やしきもり)と呼ばれていたんだよ。
青梅街道は、両側に屋敷森が続き、立ち並ぶ大きなけやきなどが空を覆い、まるで緑のトンネルのようで、とてもきれいな通りだったんだよ。
聖火ランナーを目指して
小平第一中学校では、聖火ランナーを選ぶ選考会があったんだって。
当時、高校1年生くらいで選考会に参加した方のお話なんだけど、選考会では100メートルくらいの距離を走り、1位でゴールして、メダルをもらったそうだよ。
残念ながら、当日は都合が悪くて聖火リレーには出られなかったそうだ。
選考会に参加する人はたくさんいて、最終的には各区正走者1人、副走者2人、随走者約20人で4区あわせて計92人が選ばれたんだって。
聖火ランナーとして小平を走る
実際に、聖火ランナーだった方のお話なんだけど、その方は、聖火を持つ人の後ろを走る随走者として、府中街道付近から今のなかまちテラス付近までの青梅街道を走ったそうだよ。
本番までに、きれいに並んで走る練習もしたんだって。
沿道には、小平第一小学校と小平第二中学校の全校生徒や、若い人からお年寄りまでたくさんの人が並んで応援していたそうだ。
沿道からたくさん応援の言葉を掛けられてとても嬉しかったそうだよ。
小平を通った聖火ランナー
聖火ランナーを見た、当時小学校低学年だった方のお話なんだけど、その日は、先生に引率されてクラスみんなで青梅街道に行ったんだって。
たくさんの人であふれていたから、「何だろう」と思っていたら、先生が日の丸の小旗を渡してくれたそうだ。
ドキドキしながら待っていたけれど、なかなか来なくて、待ちくたびれたころに、白いランニング姿の人たちが目に入ったかと思うと、あっという間に走り抜けていったんだって。
その間は手がちぎれるくらい旗をふったそうだよ。
小旗はもらえるものだと思っていたけれど、残念ながらすぐに回収されてしまったんだって。
それからしばらくの間は、自分で割り箸と紙で日の丸の小旗を作って応援ごっこをして遊んでいたそうだよ。
(注)市報こだいら2020年1月1日号から抜粋。
市報こだいら2020年1月1日号 こだいらちょっとむかし(PDF 1.8MB)
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