小平市役所
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タマおばあさんにかたってもらうかたちで、こだいらのちょっと昔の暮らしの様子をまとめました。
私が小さいころは、この辺りは畑ばかりで、遮るものがないから、風の強い日は大変だったの。
そのころはどこからも富士山がよく見えてね。
「富士山に雲がかかると風が強くなる」という言い伝えもあったんだよ。
秋が深まってくると、冷たい北西の風が強く吹きはじめるんだけど、それを「おかまっ風」と呼んでいたんだよ。
その風には、「おかま様」という神様が乗っているんだって。
昔は台所にかまどがあって、薪で火を焚いていたの。
それで、かまどにおかま様という神様をまつっていたんだよ。
10月は日本中の神様が出雲に出かけていなくなるから、神無月って呼ぶんだって。
おかま様も月初めに出雲に行って、月末に木枯らしに乗って帰ってくるといわれていてね。
その風をこの辺りではおかまっ風って呼んだの。
おかまっ風が吹くと、冬支度を始めたものだね。
そのころはよく霜柱ができて、朝、学校へ行くときなんか、踏むとザクザク音がして楽しかったよ。
日中、気温が上がると、霜柱がとけて、土がどろどろになるの。
それを繰り返していると、だんだん土がかさかさになっていくんだよ。
春になると、その土で突風が巻き上げられて、吹きつけられてくる。
風が土ぼこりで赤っぽく見えるから、この辺りでは、「赤っ風」って呼んだんだよ。
土ぼこりまじりの強い風が吹きつけて、外にいたら、目なんか開けていられない。
鼻や耳の穴にまで土ぼこりが入るんだよ。
風が強い日は、戸を閉めきっていても、隙間から土が家の中に入りこんでくるの。
「障子の桟にごぼうの種がまける」というぐらい土ぼこりがたまっていたんだよ。
掃除機がなかったころは、畳の上にお茶殻の生乾きにしたものをまいて、座敷ぼうきで掃き集めていたんだよ。
雑巾で拭くと、畳の目に細かい土が入りこんで、取れなくなってしまうからね。
一日に何度も何度も掃除をしなくちゃいけないから、本当に大変だったよ。
畑に植える木だから、あんまり大きくすると、日陰になって、作物がよく育たなくなってしまう。
だから、お茶の木は仕切りにもってこいなの。
それに風通しがいいから、いい茶葉が育つの。
お茶の木の根元には、ときどきウサギやキジもいたよ。
畑は吹きさらしだから、お茶の木が隠れ場所にちょうどよかったんだよね。
私のおじさんはお茶を作るのが上手だったから、おじさんちには製茶専用のかまどがあったの。
だからうちではいつも頼んで作ってもらっていたの。
お茶作りは力がいるから、男の人の仕事だった。
炭火をおこして、和紙を貼った畳半畳ほどもある焙炉の上で、作り手が上半身裸になって、お茶の葉を手でもみながら作るんだよ。
熱くなった茶葉を素手で揉むんだから、大変な仕事だった。
焙炉も使っているうちに和紙が火で焼け焦げてしまうから、糊で何度も貼り直したんだよ。
それには新しい和紙はもったいないから、使い古しの和紙なんかを使ったの。
だから人に頼んで作ってもらうときも、摘んだお茶と一緒に和紙を持っていったんだよ。
農家ではお茶をよく飲んだね。
10時と3時には、お茶休みをしたよ。
昔はお茶休みのことを「こびる」とか「おこじゅ」っていったそうだよ。
農作業は重労働だったから、何かちょっと食べないと、体がもたないんだよね。
お茶うけには、里芋やさつまいもなど自分のところで採れたものを食べたんだよ。
夏にはトマトやきゅうり、すいか。
秋には柿や栗なんかもあったね。
たまにはよそで饅頭や団子を買うこともあったけど、うちで作った焼き餅やご飯団子なんかも食べたよ。
焼き餅っていうのは、お餅じゃなくて、小麦粉を水で溶いて焼いたものなの。
ご飯団子は残りごはんに小麦粉を入れて団子にしたのを、焼いたり茹でたりしたもので、どっちも簡単にできるんだよ。
味噌や醤油、砂糖をつけるとおいしいんだよね。
お茶休みだけじゃなくて、食事のあともお茶を飲むので、お茶は生活に欠かせないものだったよ。
(注)市報こだいら2014年1月1日号から抜粋。
市報こだいら2014年1月1日号 こだいらちょっとむかし(PDF 918.5KB)