市報こだいら:2020年11月5日号 1面(抜粋記事)
更新日: 2020年(令和2年)11月5日 作成部署:企画政策部 秘書広報課
市報こだいら1面の記事を抜粋して掲載します。
小平市公共下水道50年の歩み 快適な生活環境を支える下水道
小平の下水道整備事業が始まって、今年で50年になります。
下水道が整備される前、小平では雨水や生活排水が生活環境に大きな影響を与えていました。
ふだんあまり目にすることがない下水道の役割を、下水道が整備される以前の小平の様子を通じて紹介します。
都市化で発生した下水処理問題
昭和30年代(1955年ごろ)から、農地の急速な宅地化などで人口増加が進みました。
そのため、下水道や道路など生活関連のインフラ整備が追い付かず、特に、雨による浸水、用水路や地下に流れ込む生活排水などの下水処理が問題になっていました。
水が溜まりやすい地形
小平は、地理的に排水に不便な条件を持っていました。
地形はほぼ平坦で水が流れにくく、川は市内東側に石神井川の上流がわずかにあるのみで、雨水を排水する川はほとんどありません。
また、台風や大雨が降ると、窪地と呼ばれる低地には地面にしみ込んだ水(野水)が湧き、水が引きにくく、大きな水たまりや浸水被害が起きました。
生活排水が環境汚染の原因に
昭和20年代ごろから、生活排水が用水路に流入し、水環境が悪化してきます。
昭和30年代ごろには宅地化が進み、一般家庭では、庭に直径約60センチメートルの縦穴を深さ約8~12メートルの砂れき層(砂と小石が混ざる地層)まで掘り、生活排水を浸透させる吸い込み施設を設置しました。
そのため、地下水の汚染が深刻になりました。
また、全国的にも生活排水が直接河川に流れていたため、河川や海の汚染が広がっていました。
このようなことから、当時の市民から下水道の整備要望が多くなっていきました。
下水道がなかった時代の様子
下水道が整備されていなかった時代は、雨水や生活排水を適切に排水できないことが生活に大きな影響を与えていました。
小川町の青梅街道沿いで米屋を営んでいた立川さんに、当時の様子を伺いました。
大雨が降ると道が冠水
昭和40年ごろは、地面が土で、雨が降ると、道には大きな水たまりが出来て地面がぬかるみました。
大雨が降ると青梅街道は冠水して、お店に水が入らないよう土のうを積んだのを思い出します。
雨の後は、至る所で道にたまった水をポンプでくみ上げて用水路などに流していて、水たまりに浸った車はエンジンが動かなくなり、止まっていました。
地面から雨水が湧き出て大きな池ができる
昭和20年後半ごろ、通っていた小平第一中学校の近くは畑で、今よりも土地が低かったため台風や大雨により野水がたまって100メートル四方ほどの大きな池が出来て、ボートが浮かべてありました。
下水道が整備された今では信じられない風景が、昔はありました。
急ピッチで進む下水道整備工事
日常生活に大きな影響をもたらす下水処理の問題を解決するため、市の最優先課題として昭和45年から市内全域の公共下水道汚水整備事業が始まりました。
そして、事業開始から20年後の平成2年、総事業費620億円の巨額を投じて市内全域の汚水(生活排水)整備事業が完成しました。
そのため、用水路や吸い込み施設に流れていた生活排水による水環境の悪化や、水はけの悪さなどの問題は、徐々に解消していきました。
現在、市内の汚水(生活排水)は、流域にある下水処理施設できれいに処理し、消毒してから西地区は多摩川、東地区は柳瀬川へ流しています。
東地区の雨水は、黒目川や石神井川へ流しています。