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手作りの暮らし (小平市の昔話)

更新日: 2021年(令和3年)1月1日  作成部署:企画政策部 秘書広報課

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昔は、なんでも自分で作るのが当たり前でした。
その中から、特に衣服について、タマおばあさんに語ってもらう形で紹介します。

洋服・繕(つくろ)い物

縫物をするイラスト

今は必要な物は何でもすぐに買えるけど、昔は着る物も食べる物も、自分で作らなければならなかったの。

私が若かった頃、50年も60年も前は、洋服より着物を着ることが多かったんだよ。
だから私らも、普段に着る着物や浴衣は手で縫(ぬ)うし、洋服も生(きじ)を買ってきて、家(うち)でミシンで縫(ぬ)ったの。

まちですてきな洋服を着ている人を見かけると、デザインを覚えておいて、似たような生地を買ってまねて作ったりしてね。

もちろん自分で作るから、そんなにうまくは出来ないし、手間もかかるけど、出来上がったときは本当にうれしかったよ。
子どもたちの下着もキャラコの布を必要なだけ買ってきて縫織(ぬ)うの。
キャラコというのは木綿の平(ひらお)りの布だよ。
下着は肌に直接着るものだから、縫(ぬ)い目が当たって痛くないように、なるべく平らになるような縫(ぬ)い方を工夫したね。
服も下着もいつでも作るわけじゃなくて、子どもたちがお正月や新学期なんかの特別のときに着られるように、新しい物を用意したの。
それで新しいうちはよそゆきにするんだけど、古くなってくると普段着にしたんだよ。

昔はお兄さんやお姉さんの小さくなった服を弟や妹が着ることが当たり前だったの。
お下がりの服は、大きすぎると、すそを上げたり、肩のところでつまんで縫(ぬ)ったりしてね。
体に合っていなくて不格好なんだけど、みんながそうだから、子どもたちも平気だったね。
お下がりは、いろいろなところが傷んでいて、すぐにすり切れて、穴があいてしまうの。
だから夜なべ仕事に、夕飯の片づけが済むと、毎晩のように繕(つくろ)ったもんだよ。
肘(ひじ)や膝(ひざ)が当たるところは、特に穴があきやすいから、初めに別布(べつぬの)を下からあてがって縫(ぬ)うんだよ。
虫に食われて穴があいてしまったところなんかは、フェルトをかわいらしい形にしてアップリケにすると、子どもが喜んだね。
私がたまに昼間に針仕事(はりしごと)をしていると、子どもたちも針を持って、いっしょにお人形さんの簡単な洋服を作ったりしていたよ。
それで小学校高学年にもなると、繕(つくろ)い物も自分でするようになったんだよ。

服だけじゃなくて、足袋(たび)や靴下も縫(ぬ)うんだよ。
今では、靴下に穴があくと、すぐ捨ててしまうけど、昔は糸でかがって履いたの。
かかとや指先、親指の付け根辺りによく穴があいてね。
指先はつまんで縫(ぬ)ってしまうんだけど、かかとや親指の付け根のところは、靴下の中に電球を入れて、繕(つくろ)ったんだよ。
そうすると縫(ぬ)いやすいの。
繕(つくろ)った靴下は縫(ぬ)い目が足に当たって、ごろごろして痛いんだけど、穴があくたびに繕(つくろ)って、履いたもんだよ。

着物、洗い張り

夜なべ仕事と言えば、繕(つくろ)い物だけじゃなくて、着物もよく縫(ぬ)ったね。
新しい着物を縫(ぬ)うときもあるけど、縫(ぬ)い直しが多かったんだよ。

洗い張りをしているイラスト
着物は夏用の単衣(ひとえ)、冬用の袷(あわせ)があって、それぞれ季節が終わると、汚れがひどいものだけ洗い張りをしたもんだよ。
縫(ぬ)ってある糸をほどいて、布に戻してから洗うの。
洗った布は、板に貼り付けたり、伸(しんし)針でピンと伸ばして、のりを付けて乾かすんだよ。
それを次の季節に間に合うように、着物に縫(ぬ)うんだから、大変な手間だったの。

上等な着物は洗い張り屋さんや染め物屋さんに頼むんだけど、普段着は自分の家(うち)で、洗い張りするんだから大変だったね。

着物から抜いた糸も大切に取っておいて、雑巾を縫(ぬ)うときに使ったんだよ。
今は新しいタオルを下ろして、雑巾(ぞうきん)にしたりするけど、昔は古布で作ったんだよ。
傷んで着られなくなった木綿の服や下着などを、重ねて刺して、雑巾(ぞうきん)に縫(ぬ)ったの。

着物と言えば、明治時代から昭和の初め頃までは、小平は養蚕(ようさん)が盛んで繭(まゆ)をたくさん出荷していたの。
だから自分の家(うち)で繭(まゆ)から糸を取り、機(はた)を織って、反物まで作っていた人もいたんだよ。
自分の家(うち)で作った反物は家(うち)織りと言って、良い繭(まゆ)で作ることもあったけど玉繭(まゆ)やビション繭(まゆ)なんかの、売り物にならないような繭(まゆ)で織ることが多かったんだよ。
玉繭(たままゆ)は大きな丸い繭(まゆ)で、2匹の蚕が一緒(いっしょ)に一つの繭(まゆ)を作ったものなの。
大きいから良さそうなものだけど、実は糸が節だらけなんだよ。
ビション繭(まゆ)という、中で蚕が死んでしまった繭(まゆ)も、糸に染みが出ていて、売り物にはならないの。
そういう物で、自分たちの着物を作ったんだね。
でも、絹だから、やわらかくて軽くて、着やすかったんだよ。

針山(はりやま)、お手玉(てだま)

繕(つくろ)い物やら、着物を縫(ぬ)うやら、毎日、針を持たない日がないぐらいだったよ。
だから、お針の道具は、いつも手の届く所に置いてあったの。
針を刺しておく針山は、気に入ったはぎれで自分で作るの。
中に髪の毛を入れると、髪の油気で針がさびないでいいんだよ。

お手玉で遊んでいるイラスト

子どもの喜びそうな色や柄のはぎれは、お手玉にしたよ。
お手玉の中身は古くなった小豆やエゴの木の実なんかを入れたの。

2種類の布をはぎ合わせるお手玉もあって、なるべく違った色のはぎれを使うと、きれいなんだよ。

手作りの暮らしは大変だけど、作る楽しみと、それを使う喜びがあったんだね。

 

(注)市報こだいら2008年1月1日号から抜粋。

市報こだいら2008年1月1日号 こだいらちょっとむかし(PDF 635.8KB)

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小平市小川町2-1333 市役所3階

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